PTA講演会講師によるコラム 「O君のこと」 R元年10月 試験官:井上ゆかり 涼しい日が続き、秋らしくなってきました ハイキングや山登りをするのによい季節になってきましたね 私は山登りというと、Oくんという学習障害の男の子のことを思い出します。 当時、私は東京で情緒障害学級という通級制の学級の担任をしていました。 (通級制:通常学級に籍を置いたまま、週に1~2回、その子の障害や発達に合わせた療育支援を行う学級) Oくんは児童相談所からの紹介で私たちの学級に通ってくるようになりました。 近所の中学生のお兄さんに誘われて、盗みの見張り役をしていました。 夜中のスーパーに忍び込んで、ゲームソフトを盗んでいた中学生たちと一緒に補導されて、児童相談所に通うようになりました。 児童相談所から私たちの学級を紹介されたのは、補導されたからではありません。相談員の方が、小学校4年になっているのに、ひらがなの読み書きができないOくんを見て、適切な支援が必要だと感じたからでした。 初めて会ったOくん、会話からは、それほどの遅れは感じませんでした。しかし、ひらがなは拾い読みもおぼつかない。運動能力に偏りがあり、手先も不器用でした。 今なら、普通学級の担任の先生でも「発達障害では・・・?」と気づいてもらえるような状態でした。でも、当時は「発達障害」ということばもなく、障害に気づかれないまま4年生になっていたのだと思います。 Oくん自身は、どこかで「他のお友だちのように字が覚えられない。図工などの作品が上手に作れない。」ことには気づいていたと思います。 だから、勉強に関しては「ばからしくて、やってらんねーよ」というスタンスで ごまかしてきたようでした 当初は、私たちの前でも「やってらんねーよ」とふてくされた態度をとっていました。興味の持てそうな課題を使い、Oくんの理解のスピードに合わせて学習を進めるうちに、「やれば、できる」という気持ちが出てきたようです。 遅れのある1年生の女の子に絵本の読み聞かせをするという課題にも取り組み、小さい子の面倒もよく見てくれるようになりました。 通い始めて半年、「このごろは素直になってきたなあ」と思っていたころだったのですが・・・。 秋の合宿で山登りに行った時のことです 「山登りは長袖、長ズボンを着ていきます」と言ったにもかかわらず 半ズボンで出てきたOくん。持ってきた荷物を見ると、おかあさんは長ズボンを入れてくれていました。出してみると、少し小さめ、色も赤。 もしかしたら、妹のものを間に合わせに入れたのかも・・・。 嫌がる気持ちもちょっとわかるけど・・・。 「なぜ、長ズボンが良いか?」という説明をして説得してみましたが、本人はどうしても半ズボンで行くと言い張りました。通い始めたころの意固地さが戻ってきたかの印象でした。 他の先生方とも相談して、そのまま半ズボンでハイキングに参加させることにしました。 幸い、秋になって雑草はほとんど枯れて、草で手足を切ることはありませんでした。しかし、岩場に差し掛かった時、Oくんは足を滑らせて、転び岩で足の腿を切りました。傷口を見ながら、Oくんがぽつりと「やっぱ、長ズボンでないとだめだなあ・・・」と独り言のように言いました。 まわりにいた先生たちは、顔を見合わせ、だまっていました。 「それみたことか!長ズボンをはいてこないから!」とあえて言わなかったのです。 保健の先生が、だまって消毒をして絆創膏を貼ってあげました。 翌日、Oくんは「少し小さいけど、これを履いていく」と言って、赤い長ズボンを履いて出てきました。 1年後、5年生の合宿では「お母さんに買ってもらった」と新しい長ズボンを持ってきました。Oくん自身が「山登りには絶対に長ズボンがいる!僕のズボンを買ってほしい」と言っていたそうです。 大人が誰一人、「それみたことか!」とOくんを責めることがなかったからこそ、Oくんが自分の体験(失敗)から学んだのではないか?…と思っています |
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講演会講師によるコラム 「高齢の母の自立とは…」 令和岩塩10月 試験官:井上ゆかり 自立型支援方法を学んでから、15年以上の月日が流れています。 その間に、小学生だった子どもたちは親元を離れて大学に進学し 人生の大きな選択である就職先を自分で選択して自立していきました 一方、15年前には70代だった私の母は今年、92歳になりました ひどい認知症というわけではありませんが いわゆる短期記憶の能力がかなり衰えています 子どもは日々成長していくので、「自立に向かって支援する」ということばに 何の違和感も感じませんが、徐々に衰えていく高齢者に対して 「自立に向かって支援する」ってどういうことなんだろう? というのが、ここ数年の私の課題でした 短期記憶がだめになると、いろいろとややこしいことが起こります 昨年の暮れ、デイサービスから、クリスマス会でプレゼントを頂きました。 几帳面な母は帰ってくると、プレゼントをデイサービス用のバッグから 取り出して、片づけたようです ところが、数日後デイサービスの準備をしようと連絡帳を見た母。 「クリスマスプレゼント、バッグの中に入れてあります」を見て 「プレゼントが入っていない!」と思ったようでした。 「帰ってきて、どこかにしまったんじゃないの?」と言っても 「入っていなかった!」の一点張り デイサービスの方に「プレゼントが入っていなかった」と文句を言ったようです デイサービスの方の「確かに入れましたよ。おうちのどこかにあるんじゃないですか?」と言葉にも耳を貸さなかったようです。 年明け、クリスマスプレゼントをくれないデイサービスには行かないと言って デイサービスを休みました。 平日、他の家族はみんな、帰宅は19時過ぎ。 高齢の母を一人で家に置いておくのは、やはり心配です デイサービスに行ってもらえば、その間は安心です 何か良い方法はないだろうか? デイサービスの担当のTさんと相談しました。 どんなものを渡してくれたのか? パッケージはどんな感じだったのか? 渡し方はどうしたらよいのか? ・プレゼントはくじびきで当てたもの(名前を書いた青い付箋を貼っていただけだった) ・プレゼントは100均で買った靴下とおかし 青い付箋はTさんが 「井上さんの字ではわかってしまうので、青い付箋に私がお母様の名前を書いたものをお届けします」と言ってくださって、うちのポストに入れておいて下さいました。 用意したプレゼントをショートステイから帰ってきた母に 「いない間に部屋を片付けたら、ベッドの下から出てきたよ」と言って 渡してみました 母は意外とすんなり、納得してくれました 今、母の部屋にはホワイトボードを置いてあります 今日は 〇月〇日です △△デイサービスに行きます デイサービスからもらってきたものは、写真に撮ったり 部屋に飾って、母の目につくところに置いています 自立型支援方法の14の習慣 ・母はいつも最善の選択をしている ・私の思い込みをいったんはずして、「プレゼントがなくなった」と言っている そのままの母を受け入れる・・・ ・母が尊重されていると思う聞き方をする・・・ やはり、ミッションブック(自立型支援方法)に戻って考えることが大切だなあと感じています。 |
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PTA講演会講師によるコラム 「なんだかわからないけど、学校に行けなくなっちゃった」 R元年9月 1級ホルダー : 山本伸子 この春小学校に入学したRちゃん。 Rちゃんの住んでいるマンションでは、自主的に皆が集まる登校班があって、お兄ちゃんやお姉ちゃん達が新しい1年生3人を毎朝一緒に学校に連れて行ってくれます。 最初は少し緊張しながらも楽しそうに学校に通っていたRちゃんですが、4月の半ば頃から少し様子がおかしくなり、毎朝「学校に行きたくない」と言うようになりました。 びっくりしたママが「何かあったの?何か嫌なことがあるの?」と優しく聞きましたが、「ううん、先生もお友達も好き。学校も楽しい。でも・・・」とRちゃん。 ママは少し心配しましたが、学校に慣れたらすぐに元の元気なRちゃんに戻るだろう・・・と、毎朝Rちゃんと一緒に登校班の集合場所まで行って、「行ってらっしゃい!」と送り出していました。 ところがRちゃんはついに登校班の皆とも一緒に行くことを嫌がるようになり、毎朝ママとの言い争いが始まりました。 「早くいかないと間に合わないよ。」 「いや、行きたくない・・・」 「じゃぁみんなに先に行ってって言いに行きなさい」 「いや!ママが言ってきて!」 「それはママのお仕事じゃないよ。自分のことなんだからRが自分でちゃんと言わないと」 「いや!!!」 「早く行かないとみんな遅刻しちゃうよ!」 「いや~~~!(泣)」 結局皆に迷惑がかかると悪いのでママが仕方なく皆に伝えに行きました。 「みんなにはもう行ってもらったよ。Rは今日学校お休みするの?嫌ならお休みしてもいいよ」 「・・・うん。」 「じゃ、ママは今日はご用があるからRはお留守番しててね」 「そんなんイヤ!!!Rも行く~~~(号泣)」 まだまだ続いたすったもんだの末、結局「ママが送ってくれてお迎えにも来てくれたら学校に行ける」とRちゃんが言い、その日は登校しました。ママが恐る恐るお迎えに行くと、朝の泣き顔が嘘のようにとびっきりの笑顔で「ママ!」と学校から飛び出してきました。 でもやっぱりそれからはなかなか一人では学校に行けなくなり、毎朝ママとNちゃん(妹・1歳)が登校班のお友達と一緒に学校まで送り、お迎えにもいくようになりました。 これでRちゃんの不安が解消されるなら・・・と、ママは毎日約束通りに送り迎えをして、毎日Rちゃんの話も聞いて何とか気持ちがほぐれるように色々なことを試していました。 Rちゃんはというとそんなママの思いとは裏腹に、家では妹にちょっかいをかけて泣かせたり、ママの言うことにはことごとく「イヤ!」の連続。 落ち着いて考えるとRちゃんのそんな言動は、自分に今のしかかっている得体のしれない魔物と戦っている不安感の成せる業に外ならず、一番大好きで自分を守ってくれるママをとことん試しているのだろうな・・・と思えるのですが、Rちゃんとの毎日のやり取りですっかり疲弊しているママには、それが見えなくなってしまうことがあって、ケンカの絶えない日々が続き、Rちゃんの気持ちが不安定なまま夏休みに入りました。 夏休みになって「学校に行く」というストレスから解放されたRちゃんですが、ママへの反抗は収まるどころか日に日にひどくなり、ママはとてもしんどい毎日を過ごすようになり、ストレスと共に母親としての自信が揺らいだりすることもあったようです。そんな状況を見てパパも今まで以上にRちゃんとの関わりを増やしてママを助けてくれました。そのお陰でRちゃんにとっては色んな体験ができた楽しい夏休みでした。 始業式前夜、パパもママもRちゃんの様子を気にはしていましたが敢えて口出しはせず、自然にしていたところ、一人で学校の準備を始めたRちゃん。そこで宿題がまだ残っていることが発覚し大慌てで何とか仕上げ、パパもママも明朝はどうなることかと不安感を抱えて就寝。 始業式の朝は・・・やはりまだ一人では行けず・・・ママと妹と三人で登校し、校門で別れる時に号泣して、迎えに来てくれた先生がちょっと強引に連れ行ってくれました。 翌日は「車で送ってくれたら行ける」というRちゃんの言葉を信じて学校まで行ったけど、なかなか降りられず学校の周囲を3周して「もうこれで降りなかったら行かなくていいよ!」とのママの言葉に泣きながらも自分で降りて一人で校門をくぐることが出来、翌日も涙が一粒ポロっとこぼれはしたものの、周回せずに一人で降りて校門をくぐることが出来ました。 その日先生から「2学期になってから急に全時間手を挙げるし、大きな声でお返事するし・・・頑張りすぎるくらい頑張っていて顔つきが変わりました。」と嬉しいお電話がありました。 で、次の日はダメ元で「今日は雨でNちゃんを連れて出るのが大変だから、登校班の皆と一緒に行ってくれない?」と聞いてみると「いいよ!」と拍子抜けするくらい平気な様子で、明るく一人で登校していきました。 まだまだ何が起こるかわかりませんが・・・Rちゃんが迷い込んだ得体のしれない魔物のいる暗い森から抜け出すのはもうすぐでしょうね。 子どもには力があります。言葉ではうまく言えなくてもちゃんと自分のことを考えています。ただ幼くてどう対処すればいいかわからないから、感情の赴くままに全力で大人にぶつかってくるのです。 そんな時こそ大人は子どもと真摯に向き合いしっかりと受け止めてあげることで、子どもは様々ななことを感じ取って不安や苛立ちを徐々に拭い去り、それを自信に変えてまた一人で歩きだします。自立の芽はこうやって色々なところで伸びていきます。 大きくなって一人ひとりがどんな花を咲かせるのか・・・楽しみですね。 文責:1級ホルダー 山本 伸子 |
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PTA講演会講師によるコラム |
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PTA講演会講師によるコラム ~スポーツ現場でのパワハラに思うこと~ H30年12月 1級ホルダー : 山本 伸子 私はスポーツが好きで、今でもテニスを続けています。 私の学生時代は「根性主義」の全盛期で、特に大学の部活動では上下関係が厳しく、「先輩の言うことは絶対」で「いつ休みがあるのか」も聞くことは許されない雰囲気でした。 一番下っ端の1年生の頃の主な仕事は、コート整備(ライン引き・水まき・トンボかけ・ネット修理etc)とボール拾いで、先輩のすぐ側に転がっているボールも猛ダッシュで取りに行かなければ怒られる・・・という、今思えば理不尽なことだらけの時代でした。 もちろん当時も不満はありましたが、それでも4年間続けてこられたのは、テニスが好きだったことと、共に苦しみを分かち合ってきた仲間のお陰・・・と言いながら一人のミスは連帯責任で皆で罰を受けましたが、それもまた絆を深める一因になったのだと思います。 それと・・・厳しかった先輩が「自分に厳しい」方で「不言実行」を心がけてちゃんと成績も残しておられて、何をおいても尊敬できる方だったというのも大きく、今ではそんな中で色々な方に育てていただいたと感謝しています。 そんな時代が過ぎ、今では社会環境の変化やスポーツ分野の研究が進んで、練習方法やこれまでの常識などが大きく様変わりして一見進歩しているように見えますが、「指導方法」というある種デリケートな部分がある分野ではまだ旧態依然としたところが多々あるようです。 その一つが昨今、世間を騒がせているスポーツの現場におけるパワハラ問題です。 スポーツは戦いなので誰かが勝てば、誰かが負けます。誰もが勝つために日々鍛錬を重ね、試合に臨んでその技を競います。 その中で、スポーツを通して「人として生きていくうえで必要な様々なことを学んでいく場」だと私は思っているのですが、パワハラ現場ではそれが「勝利至上主義」や、大人の都合による「大人(指導者)のための時間」や「大人(指導者)の功績を競うもの」になってしまっているように思います。 スポーツ選手はどれだけ一世を風靡しても、いつかは一線を退かなくてはならない時がやってきます。また、一生懸命努力しても思うような成績が残せず引退せざるを得ない選手も山ほどいます。 そんな選手のセカンドポジションも見据えて育てていくことができる人こそが、本当の指導者だと私は思っています。 そう考えると自ずと普段から選手とどのようなコミュニケーションを取ればいいのか、今何を育てる時期なのか、などやるべきことは明白になってくると思います。 威圧的な態度で何でも指導者の思い通りに選手を動かそうとし、うまくいかないからといって罰を与えたり暴力という手段に訴えるこがどれほど無意味なことか・・・ また、練習現場では常に指導者と一緒にいても、実際の戦いの場で状況を判断し、勝利に向けて作戦を考えるのは選手自身です。それならばなおさら、そんな状況の中で「自分で考えて行動できる力」を日ごろから育てていくことが大切なのは火を見るより明らかです。 少し前に全米オープンテニスで優勝した大阪なおみのコーチ・サーシャさんのコーチングが話題になりましたが、彼が限られた時間で彼女にしていることはただ一つ・・・「うまくいかなくてイライラしている感情を吐き出させて受け止め、最高のパフォーマンスができるように心の整理の手助けをすること」でした。 その場であーだこうだと作戦を授けるのではなく、練習で培ってきた彼女の力を信じ、それを目いっぱい発揮できるように努めることに徹する・・・ どのようなことも自分でしっかりと判断し行動するチカラは、スポーツ選手に限らずどんな場でも必要なチカラです。スポーツ現場のパワハラ問題を通して人を育てる立場の私達は(親・指導者・先生・上司etc)は、そんな力を育てることに意識を向けていかなければ・・・、と改めて考えさせられました。 |
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「子どもの生きる力を育てる関わり方」 | |
1. この子の人生の主人公は、この子であることを忘れない 2. どのようなことも、この子にとっては常に「最善を選択してきた結果」であると意識する。 3. 話をしてくれない日が続いても、いつも大切だと思っているアピールを忘れない。 4. 思い込みを一旦はずす。 5. 会話、かかわりの意図を意識する。 6. 子どもの可能性を開き続ける。 7. 子どもの思いをまずは聴く、知る。 8. 考える場を一緒に作る。 9. 褒めるだけでなく認める。 10. 自信構築のために、責任を取る経験を奪わない。 11. 失敗したと感じることも、常に学びの種に変え、支援する。 12. 親の体験や助言を選択するかどうかは、子どもが決めると意識して提案する。 13. 謝る気持ちを持ち、誠実にかかわる。 14. 勇気をくじかない。 15. 待つ! |
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